資格試験に落ちてショックな人へ。メンタルを持ち直す7つの考え方

資格勉強

一生懸命勉強をした資格試験に不合格。それはとてつもなく落ち込むものです。

どうも!資格不合格経験数多の社会人ことたっつーです!!

私もこれまで色んな資格を受けてきましたが、努力が報われて合格できた時もあれば、残念ながら不合格の時もありました。

不合格でも、すごく頑張って試験勉強したのに落ちた時と、あまり勉強しなかったからまぁ当然の結果か…という時では、その落ち込み度合いは当然違いますよね。

特に合格ラインスレスレで落ちてしまった時。試験結果を見た時の、あの体中から血の気が一気に引いて足がすくむ感覚。悔しさから泣き叫びたくなります。

でもね、資格が取れなくても、日常はこれまで通り続いていくんです。

資格試験に落ちても人生の価値は変わらない

試験に落ちると、自分のこれまでの努力が否定されたような気分になるし、「自分はダメな人間だ」などと自分自身を責めてしまうこともあるかもしれません。

だけど、資格試験に受かっても受からなくても、好きな食べ物を食べれば美味しいし、綺麗な景色を見れば感動するし、アクション映画を観てドキドキハラハラできるし、好きな音楽を聴けば心躍ります。これまで自分が楽しいとか幸せだと感じていたことは、これからもずっとそこにあり続けるはずです。

資格の不合格は、そうした自分の楽しみを奪うわけではないし、ましてや人生の価値を落とすということもありません。ただ資格試験に落ちた、それ以上でもそれ以下でもないのです。

自分が好きなことや、楽しいと思うものにフォーカスする

結果は〇か×でしかない

試験に落ちてしまうと、自分の回答を振り返って、この迷った問題でこっちの選択肢を選んでいれば…とか、この記述問題であんな風に書き換えてなければ…などと、途方もない後悔をしてしまうことでしょう。

特にあと1問正解していれば合格だったのに…という最も悔しい落ち方をした場合には、寝ても覚めてもそのことを考えてしまいます。あの時回答を書き換えてしまった自分を一生許せないくらいには恨んでしまうかもしれませんね(それは言い過ぎ)。

だけど、結果は「合格」か「不合格」しかないのが資格試験。1か0なんです。「不合格」だったら、合格ライン間近の点数であろうと、合格点に全く届きもしないような点数であろうと、それは同じ「不合格」なのです。

今更いくら後悔したって、その結果が変わることは決してありません。単純に合格するだけの実力が足りなかった、それだけ。不合格の理由に色んな要素があったにせよ、それは事実として受け入れるしかないのです。

考えても無駄なことは考えない

悔しいと思えるほど頑張った自分を褒める

泣くほど悔しいと思えるくらいに頑張ることは、誰にでもできることではありません。

資格を取得しようと決意し、そして日々勉強時間を確保して、他のことを犠牲にしながら試験対策に打ち込むことは、並大抵の努力では成し遂げられないのです。

資格試験の難易度が高ければ高いほど、勉強を継続していくには覚悟が必要になります。そしてその覚悟が大きければ大きいほど、報われなかったときの悔しさは計り知れません。

それだけの決意と覚悟を持って試験に臨んだことは、結果がどうであれ誇りに思うべきだし、人生の糧になるはずです。悔しいと思えるほどの努力をかけられた自分を褒めてあげましょう。

逆にそんなに一生懸命打込んでなければ悔しくもない

努力は必ずしも報われるものではない

残念ながら努力はした分だけリターンが約束されるという単純なものではありません。RPGゲームではないので、経験値を積んでレベルアップをしていけば必ず敵キャラを倒せるわけではないのです。

どれだけ努力をして満足いく勉強時間を確保し知識を身に着けたとしても、出題された分野の得意不得意や、問題との相性、他の受験生のレベルなど、自分ではどうしようもないことで合格にも不合格にもなりうるのが資格試験。

もちろんこれは資格試験に限ったことではなく、仕事でも恋愛でも趣味でも人間関係でも、あらゆることでそれは同じです。努力したからといって欲しいものが必ず手に入る保証はどこにもない。たとえ努力の先に欲しかったものが何もなかったとしても、もうこのまま進んでいくしかないのです。

最終的にはそういうものだと割り切る

試験勉強に励んだ時間が無駄になるわけではない

私自身、数年前まで資格試験に挑戦するのを避けていました。というのも、他のことを犠牲にしながら頑張るだけ頑張って勉強して、お金と時間をかけたにも関わらず、結局落ちたら意味がないと思っていたから。

でも、色々な資格試験を受けて、落ちたり受かったりしていると、たとえ不合格だったとしても、頑張って勉強した時間自体は無駄にはならないと思うようになりました。

勉強して身に着けた知識自体は、たとえ不合格だったとしても仕事や私生活で活用できます。様々な知見を得たことで、きっと勉強を始める前よりもずっと物事に対する視野が広がり、思考力のレベルは上がっているのではないでしょうか。

そして何よりも、資格勉強を通じて身に着いた勉強習慣は自分の資産となり、人生を豊かにしてくれるはずです。

合格以外でも得られたものはある

そういう運命だったと受け入れる

これは資格試験の結果云々に関わらずすべてのことにおいて言えることですが、自分の思うような結果にならなかったとき、それは「そういう運命」だったんだと思います。

人生には良い時もあれば悪い時もあります。でも最悪な出来事だと思っていたことが、後々振り返れば人生の好転につながるポイントだったり、逆にチャンスだと思って手を伸ばしたことが、地獄の日々への入口だったり。

人生は、今この瞬間だけでは、「良い」とも「悪い」とも評価できないことの連続です。

だから資格試験に落ちたという事それ自体は、もちろん相当ショックなことなんですが、俯瞰的に考えるとそれは長い長い人生のほんの一部分でしかありません。そういう運命だったんだと、そういう風にできているのだと受け入れましょう。

そもそも資格を取ったら急に人生が薔薇色になるわけではない

失敗や挫折を恐れずに行動できることは、まぎれもなく幸せなこと

最後に、資格試験に落ちると挫折した気分を味わい、同じ試験をまた再度受けようか迷ったり、もしくはもう何かに挑戦することすら諦める気持ちになってしまうかもしれません。

もちろんまた同じ試験にチャレンジすることや、また新しく何かに挑戦するかどうかは自分が決めるべきことです。人生は長い、とはいっても時間は有限なので、限られた人生のリソースを何に配分するのか、それはその都度自分で判断していくしかないからです。

でも、もしまた何かにチャレンジするかどうか迷っているのなら、その迷えること自体が、とても幸せだし素敵なことだと思います。世の中には日々の生活で一杯一杯な人はたくさんいるし、世界を見渡せば学ぶことすら満足にできない人は数えきれないのです。

また失敗したり、挫折したりするリスクを背負うとしても、何かに挑戦するという行動を取れるのは、まぎれもなく幸せなことなんです。自分の人生を変えようと、少しでも良くしようとする気持ちがあるのなら、その気持ちを、そう思える自分を大事にしてあげてください。

そして、失敗にめげず、挫折を恐れずにまた新たな挑戦を決意できたなら、きっと、これまでよりももっといい人生が描けるのだと思います。

とりあえず今日はケンタッキーでも買って帰って、好きな映画を観ようよ!

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